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大阪地方裁判所 昭和40年(わ)4433号 判決

主文

被告人は無罪

理由

本件公訴事実の要旨は、

被告人は、日本社会党大阪府本部書記で日本社会主義青年同盟(以下社青同と略称する。)大阪地区本部委員長であるところ、昭和三九年一一年二七日、全大阪青年婦人学生共闘会議(以下、全青婦と略称する。)主催のもとに原潜反対等を標榜し、大阪市天王寺区玉水町一番地所在の天王寺公園内大阪市立音楽堂前から、同区逢坂下之町八番地同公園北口、同区下寺町二丁目、同市浪速区日本橋筋三丁目の各交差点を経て、同市浪速区蔵前大阪球場に至る間に行なわれた集団示威行進に、全青婦傘下の労働組合員、学生等約三、一〇〇名とともに参加したものであるが、右行進には大阪府公安委員会から、ジグザグ行進をしないこと等の許可条件が付されていたにもかかわらず、右条件に違反して、同日午後七時五六分頃、同市浪速区日本橋筋三丁目交差点の軌道ならびに車道上を、社青同構成員山下勝己ら約六〇名と共にジグザグ行進を行ない、もつて大阪府公安委員会が付した許可条件に従わなかつたものである

というにある。

〈証拠〉を総合すると、本件集団示威行進には大阪府公安委員会から、その許可の条件としてジグザグ行進の禁止を含む別紙許可条件が付されていたこと、被告人が公訴事実記載の日時、場所において、同記載のとおりジグザグ行進をしたことを認めることができる。

しかし、当裁判所は、本件においては、被告人の行為が大阪府公安委員会の付した許可条件に違反することの証明がないものと判断するので、以下その理由を述べる。

当裁判所は、道路交通法(昭和三五年法律一〇五号)及び関係法令との関係から、昭和二三年大阪市条例第七七号行進及び集団示威運動に関する条例(以下、大阪市条例と略称する。)四条三項の「群衆の無秩序又は暴行から一般公衆を保護するため、必要と認める適当な条件」として大阪府公安委員会(以下、公安委員会と略称する。)が付しうる許可条件について、次のような解釈をとるものである。

道路交通法は、道路における危険を防止し、その他交通の安全と円滑を図ることを目的とし(同法一条)、七六条において、道路又は交通の状況により道路における交通の妨害となるおそれがあると認められる行為を例示して禁止し、七七条において、道路の使用の許可を受けなければならない場合及び、右許可申請のあつた場合における所轄警察署長のとるべき措置を規定し、七八条においてその許可の手続を規定しているのであるが、大阪市条例の規制する行進及び集団示威運動(以下、集団行動と略称する。)は、すべて街路を使用(占拠又は行進)するものであるから(同条例一条)、同法七七条一項四号の委任立法として制定された昭和三五年大阪府公安委員会規則九号大阪府道路交通規則一五条の規定により、道路交通法の道路使用に関する規制の対象となつていることが明らかである。

従つて同一の対象につき、国の法律である道路交通法と地方公共団体の条例である大阪市条例の両者が規制していることになるのであるが、条例は法令に違反しない場合でなければ制定することができないから、道路における危険を防止し、その他交通の安全と円滑を図るという道路交通法と同一の趣旨、目的をもつて、大阪市条例が同一対象に規制を加えることは許されず、そのような規制は地方自治法一四条一項に違反して無効といわなければならない。そうすると、大阪市条例が道路を使用する集団行動を規制しようとするのであれば、道路交通法による規制の趣旨、目的とは別個の集団行動自体が公共の安全を侵害するおそれのある場合に地方公共の安寧を維持するという趣旨、目的にでたものでなければならないと解される。従つて、大阪市条例四条三項により条件を付して禁止しうる行為は、集団行動の行なわれる際、群衆の無秩序、又は暴行に起因して地方の一般公衆に対し、直接危険が及ぶような行為に止まるものとしなければならない。集団行動が道路で行なわれた場合、道路を使用するために生ずる交通の危険や、一般公衆の交通妨害を防止するための措置は、道路交通法によつてのみとりうるものであつて、同法七六条四項各号に定める他、所轄警察署長が道路使用許可に際し、同法七七条三項に基づいて付する条件によつて規制しうるのである。公安委員会が大阪市条例四条三項に基づいて付した許可条件に違反した場合の法定刑が、一年以下の懲役又は五万円以下の罰金であり、所轄警察署長が道路交通法七七条三項に基づいて付した道路使用許可条件に違反した場合の法定刑が三月以下の懲役又は三万円以下の罰金であつて、その間に大きな差のあることも右の解釈を裏づけるものである。

そこで本件違反に問われた条件について検討すると、本件ではジグザグ行進をした点が問題とされている。「ジグザグ行進」とは、集団がZ字形に左右の振幅をもちながら蛇行進することをいい、通常の進行方法や道路使用方法と異り、交通秩序を乱し、交通の危険を生じさせ、又は著しく交通の妨害となるおそれのある行為であることを否定することはできない。また、ジグザグ行進をすることによつて集団の気勢があり、昂奮、激昂しやすくなり、直接一般公衆に危害を及ぼすおそれがある程度に達する場合の多いことも認めざるを得ないが、ジグザグ行進をすれば、すべて右の程度に達するものであるといえないこと勿論で、その規模、速度、振幅の程度、気勢の強弱によつては比較的に穏やかで右の程度に至らないものも存在することが明らかである。そうしてみると、大阪市条例によつて規制しうるジグザグ行進は直接公衆に危害を及ぼすおそれがある程度に達したものに限られることとなるので、本件に付された「ジグザグ行進」とは一般公衆に対して直接危害を及ぼすおそれのあるジグザグ行進という意味に制限的に解釈するのが相当である。(本件の場合公安委員会は別紙のとおり許可条件としてジグザグ行進等を一般公衆に迷惑を及ぼすような行為として性格づけ、その2として付した一般公衆に危険を及ぼす行為と異なるものとして取扱つているが、公衆に迷惑を及ぼすという意味が、集団行動が集団で道路を使用することに原因し、道路の使用方法の如何によつて交通の危険を生じさせ、公衆の道路使用を妨げる点をいうのであれば道路交通法との関係から問題があり、「おそ足行進」、「ことさらな停滞」、「坐り込み」等の行為を、大阪市条例で制限することに大きな疑問をもつものである。)

ところで、被告人が公訴事実記載のジグザグ行進を行なつていることは証拠上明らかであるが、その態様は前掲証拠によると、日本橋筋三丁目交差点(十字形交差点で、ほぼ東西南北に道路があり、そのうち東側道路は東行の一方通行となつている。)の東側から西側へ約二七メートル余を、青信号で横断する際、同交差点内で道路使用許可条件に定めらられた四列縦隊の隊列のまま、被告人の先導により歩くよりは少し早い程度で、掛声をかけながらジグザグを行なつたものであり、ジグザグを行なつた隊員は約六〇名にすぎず、ジグザグ行進は同交差点内だけで終り、交差点を出た地点で直進に戻つており、その間、道路使用許可条件に定められた経路、通行区分を変更していないこと、その時間は二分位で、振幅も交差点の約半分程度のもので大きいものではなく、当時の交通状況は西から来た車輛で右折するため待機していたものが一四、五輛あつた程度で、通行人もさほど多くなくジグザグ行進によつて通行車輛、停止車輛、通行人、佇立人と衝突接触し、又はそのおそれがある状態ではなかつたことが認められる。

そうすると、右のジグザグ行進は、集団の通常の行進方法と異なり、道路交通秩序を乱していることを否定できないが、その規模、振幅、速度、気勢の程度などを総合すると比較的穏やかなジグザグ行進というべきであつて、群衆の無秩序又は暴行により一般公衆に対し直接危害が及ぶおそれのある程度に達していると認めることができない。従つて道路交通法に基づき所轄警察署長が、道路使用許可条件としてジグザグ行進の禁止を定めていない本件においては大阪市条例違反の点のみが問題となるところ、結局前説示のとおり犯罪の証明がないことに帰するので、被告人に対し、刑事訴訟法三三六条後段により無罪の言渡をすべきものである。

(弁護人の主張に対する判断)

本件においては、以上の理由によつて被告人に対し無罪の言渡をしたのであるが、大阪市条例の合憲性については公判廷において種々論争がなされ、重要な争点となつていたものであるから、以下において特に判断を加えることにする。

一憲法二一条違反の主張に対する判断

(一)  弁護人は、憲法二一条に規定する表現の自由は、憲法の保障する基本的人権中において、最も重要かつ第一義的な権利であり、制限されることを目的として定められたものではなく、享受することを目的として定められたものであるから、間接的事後的にならともかく、法令の規定によつて直接、事前に制限することはできないものと解すべきところ、大阪市条例は、許可制を採用して、新聞、雑誌、テレビ、ラジオ等の有効な思想表現手段を利用できない個人や経済的弱者にとつて、最も有効適切な思想表現手段である集団行動を直接、事前に制限し、取締るためにのみ制定されたものであるから、憲法二一条に違反すると主張する。

憲法の保障する各種の基本的人権の中で、憲法二一条の規定する集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由が、最も重要かつ第一義的な権利であつて、基本的人権の性質上その享受を目的として規定されていることは弁護人主張のとおりである。ことに、民主主義政治の基礎条件として政治的言論の自由が、特に尊重されなければならない。なんとなれば、国民の間には種々の異つた政治的思想、意見、主張が存在しているから、それらの政治的意見が自由に発表され、国民の政治的意思形成をうながすことの自由が保障されて、初めて民主政治の実現が可能だからである。本件の如く原潜反対等という政治的目的を掲げて集団示威運動を行なうことも、一つの政治に関する思想、主張を内包する運動であるから、表現の自由として憲法によつて保障さるべき要素の存在することはいうまでもない。

しかし、表現の自由といい、基本的人権といつても絶対無制限なものではなく、これを濫用し、その行使によつて他人の基本的人権を不当に侵害してはならないという内在的制約を伴うものであることはいうまでもない(憲法一二条)。特に集団行動は、本質的に社会的なものである表現の自由の中にあつても言論、出版、電波等による表現と異り、その性質上、必然的に一定の行動様式を伴うところから、平穏な社会的秩序に影響を与え、地方住民、滞在者等の生命、身体、自由、財産等を侵害する等他人の基本的人権と矛盾、衝突するおそれのあることを否定できない。従つて各人の間の権利の矛盾衝突を調整する原理としての公共の福祉の見地から、公共の安寧秩序を保持するため、不測の事態に備えて集団行動につき、事前に直接の制限を加えても、それが必要最小限度のものである限り、けだしやむをえないところであつて、憲法に違反するものではない。

ところで、本件で争いとなつている大阪市条例を含め、各地方公共団体が制定しているいわゆる公安条例の規定自体が憲法二一条に違反するかどうか種々論争のあるところであるが、昭和三五年七月二〇日最高裁判所大法廷判決は、昭和二五年東京都条例四四号集会、集団行進及び集団示威運動に関する条例(以下、都条例と略称する。)の規定する集団行動規制の本質的部分である許可制について、これを公共の安寧秩序を維持する(公共の福祉)ための必要最小限度の規制措置であるから憲法二一条に違反しないと判断している(但し、藤田、垂水両裁判官の反対意見がある)。右判決の判断の根拠とするところは、都条例は集団行動に関して公安委員会の許可を要求しているが、一方公安委員会は「公共の安寧を保持する上に直接危険を及ぼすと明らかに認められる場合」の外はこれを許可しなければならないと規定して許可を義務づけ、不許可の場合を厳格に制限している、従つて都条例は規定の文言上では許可制を採用しているが、この許可制は実質において届出制と異なるところがなく、表現の自由が不当に制限されているものとはいえないというにあり、右の根本原則は昭和四四年一二月二四日最高裁判所大法廷判決において、全裁判官一致の意見をもつて都条例とほぼ同じ内容をもつ昭和二九年京都市条例一〇号集会、集団行進及び集団示威運動に関する条例(以下、京都市条例と略称する。)につき再確認され、変更の必要は認められないとされるに至つている。そして右昭和三五年の大法廷判決においては、集団行動許否決定の基準の抽象性、許否決定が留保されたまま実施予定日が到来した場合の救済手段の欠如、集団行動実施場所に関する制限の包括性をもつて、直ちに都条例が遠憲無効とは認められないという判断も付加して示されている。

そこで大阪市条例について考えてみると、同条例はその一条において「行進若しくは集団示威運動で、車馬又は徒歩で行列を行い、街路を占拠又は行進することによつて、他人の個人的権利又は街路の使用を排除若しくは妨害するに至るべきものは、公安委員会の許可を受けないで、これを行つてはならない。」と規定し、集団行動に関して公安委員会の許可を要求しているが、一方、その四条一項において「公安委員会は行進若しくは集団示威運動が、公共の安全に差迫つた危険を及ぼすことが明らかである場合の外は、これを許可しなければならない。」と規定して公安委員会に対して許可を義務づけ、不許可の場合を厳格に制限している等、ほぼ都条例、京都市条例と同様の文言を用いて、同様の許可制を採用しているのであり、その他の点について都条例と比較検討すると、許否基準についてはほぼ同一であつて、許否決定が留保されたまま実施予定日が到来した場合の救済手段が欠如している点も同様であるが、規制対象となる集団行動の範囲に関しては、都条例が集会を含むのに対して大阪市条例はこれを含まず、集団行動実施場所に関しては、都条例が集会、集団行進につき「道路その他公共の場所」を、集団示威運動につき場所のいかんを問わずといずれも包括的抽象的に規定しているのに反して、大阪市条例は、行進、集団示威運動につき具体的明確に街路のみを規定している等、集団行動の自由が、都条例よりも保障されていることが明らかである。従つて本件においては、前記都条例及び京都市条例に関する各大法廷判決と異る判断をなすべき特段の事情が認められないので、当裁判所は右の各大法廷判決の判断の趣旨を尊重し、大阪市条例の規定する許可制度は集団行動による表現の自由を尊重しながら、公共の安寧秩序(同条例四条一項にいうところの公共の安全)を維持するための必要最小限度の規制措置を定めたもので、憲法二一条に違反しないと解するものである。

弁護人は、大阪市条例が集団行動の自由を制限し、これを取締るためにのみ制定されたものであると主張するが、右に考察したとおり、同条例は、公共の福祉(公共の安寧秩序の維持)の見地から集団行動による不測の事態に備え、必要最小限度の事前措置を講ずることを目的とし、そのやむをえない結果として集団行動を規制することになるのであつて、通常の平穏な集団行動を制限し、規制することを直接の目的とし、そのためにのみ制定されたものとは認められない。

しかしながら、都条例に関する昭和三五年大法廷判決もいうとおり、いわゆる公安条例はその運用の如何によつて憲法二一条の保障する表現の自由(集団行動の自由)を侵す危険を常に包蔵しているのであつて、後に判断するように大阪市条例についても公共の福祉の要請による必要最小限度の規制をこえて、集団行動の自由を不当に侵害することのないよう厳格な解釈、運用が要求されるものといわなければならない。

(二)  弁護人は、大阪市条例は、集団行動について許可制を採用し、事前にその目的、規模等具体的内容を示して公権力である公安委員会に対して許可申請をすることを義務づけ、許否の判断を公安委員会に委ね、無許可の集団行動及び許可申請書の虚偽記載に対して罰則を規定しているのであるから、思想表現行為につき、予め行政機関がその内容を審査し、その発表の可否に関する審査の結果に従うことを強制する検閲制を規定するものとして憲法二一条二項に違反し、無効であると主張する。

大阪市条例が集団行動について許可制を採用していることは前記のとおりであり、同条例三条は許可申請書には、(1)行進若しくは集団示威運動の日時、(2)主催者及び参加団体の名前及び住所、(3)行進若しくは集団示威運動の行進路、(4)参加予定人数、(5)行進若しくは集団示威運動の目的及び性質の各記載を要求して、集団行動の具体的内容を事前に行政委員会である公安委員会に開示させて許否の審査をし、無許可の集団行動及び許可申請書の虚偽記載に対して、同条例五条において罰則を規定していることは弁護人主張のとおりであつて、一見公安委員会に対して集団行動の検閲権を付与しているかのようにみえなくはない。しかし、いわゆる検閲とは、公権力によつて外部に発表されるべき思想内容を予め審査し、必要があるときはその発表を禁止することをいうのであるが、大阪市条例が集団行動によつて発表されるべき思想内容自体すなわち前記(5)の事項を審査し、その内容が不当であるという理由で発表を禁止しようとする趣旨でないことは規定自体から明らかであり、集団行動が公共の安全に差迫つた危険を及ぼすことが明らかであるかどうかの判断をするに当つて、集団行動の目的及び性質を事前に知る必要性があるため、一つの参考資料として前記(5)の記載を要求しているに止まるものと解すべきものである。行進又は集団示威運動が、公共の安全に差迫つた危険を及ぼすことが明白でない限り、発表を予定された思想内容の如何を問わず、許可しなければならないのであるから、これを検閲であるということはできず、発表を予定された思想内容の事前開示を求めても、直ちに検閲であるといえないこと勿論である。

(三)  大阪市条例のその他の規定が、実質的に許可制に該当し、憲法二一条に違反するとの主張について

(1)〈略〉

(2) 弁護人は、集団行動が許可される場合においても、公安委員会は大阪市条例四条三項によつて許可に条件を付しうるのであるが、同条項の規定する条件付与の要件、基準が不明確であつて、公安委員会が恣意的に条件を付することにより、集団行動を取締り目的のために制限することができ、しかもこれに対する救済の手段方法が規定されておらず、同条例はこの点においても集団行動の自由を不当に制限するものとして憲法二一条に違反すると主張する。

大阪市条例四条三項は「第一項の許可には群衆の無秩序又は暴行から一般公衆を保護するため、公安委員会が必要と認める適当な条件を付することができる」と規定し、集団行動を許可する場合にこの許可処分に条件を付与する権限を公安委員会に委任している。しかし、この条件は、公安委員会が恣意的に付けられるものではなく、群衆の無秩序又は暴行から一般公衆を保護する必要がある場合に規定され、その条件の内容もその目的を達成するために適当なものに限られているのである。そして右の条件付与の要件、基準は必ずしも不明確であるとはいえない。また、同条例四条三項を同条一項との関連において検討すると、公安委員会は集団行動の実施が「公共の安全に差迫つた危険を及ぼすことが明らかである場合」には該当しないと認めたときにも、条件を付して許可できると解するが、集団行動中の純粋の意味における思想表現的部分(シュプレヒコール、歌唱、幕、ゼッケン、腕章、プラカード等)に関して条件を付することは許されず、集団行動中の一定の行動様式の側面(例えばジグザグデモ、渦巻きデモ等の気勢をあげる行為)や思想表現と関係のない行為(棍棒、竹棒、石等の携帯)に関してのみ必要最小限の条件を付しうるにすぎないのであるから、表現の自由を不当に制限するものとはいえず、この意味でも憲法に違反するものではない。

そして、公安委員会が右の基準及び範囲を逸脱して、許されない違法不当な条件を付したときは、なるほど大阪市条例自体に救済規定を置いていないが、一般の行政事件訴訟法の定める手続により裁判所に対して、当該条件の取消しを求め、その効力の停止を申立てることができ、又事後的に国家賠償法により損害賠償をすること等も可能であるから、同条例自体において救済規定をもたなくても、必ずしも憲法二一条に違反するとはいえない。

(3) 弁護人は、大阪市条例は、五条において、許可のあつた場合にその許可条件に違反した集団行動の指揮者のみならず、参加者まで広く処罰対象としているのは、集団行動の自由を不当に制限するものとして憲法二一条に違反すると主張する。

大阪市条例五条は「第一条の規定に違反して許可を受けない行進若しくは集団示威運動を指揮したもの、第三条に規定する申請書に虚偽の記載をして許可を受けたもの、又は前条第三項の規定に基き公安委員会が附した条件に従わないものは、一年以下の懲役又は五万円以下の罰金に処する。」と規定し、許可条件違反の行為をした集団行動の指揮者であると参加者であるとを問わず処罰対象としていて、都条例が条件違反の集団行動の主催者、指導者又は煽動者のみを処罰対象としているのに比較すると、処罰対象の範囲が広いのであるが、許可条件を付すのは前記のとおり「群衆の無秩序、又は暴行から一般公衆を保護する」ためであり、直接の思想表現行為を規制し制限するものではなく、また集団行動の性質上、許可条件の違反も集団として行なわれるのが常態であるから、条件付与の趣旨、目的から考えると主催者、指揮者、煽動者と参加者の間に行為の違法性に強弱の差があるとしても、条件違反であることを知りながら違反行為をした参加者につき特に違法性を欠くとして規制対象から外さなければならない合理的理由があるとは認められないので結局、弁護人の主張は立法政策の当否を非難するに止まるものであり、参加者を処罰することが、表現の自由を不当に制限するものであるとは思われない。

(4) 弁護人は、大阪市条例においては、集団行動の許否及び条件付与の処分をするのが、大阪府知事から任命される大阪府公安委員会であつて、しかも不許可の場合には同委員会に対して任免等につき、何らの影響力のない大阪市議会にその旨の報告をすることになつているのは手続的にみて大きな矛盾であり、このような手続によつて集団行動の自由を制限するのは憲法二一条に違反すると主張する。

大阪市条例制定当時施行されていた改正前の警察法(昭和二二年法律一九六号。)は、県市町村公安委員会の設置を規定しており、大阪市条例による集団行動の許可に関する処分は当然に大阪市公安委員会が取扱つていたのであるが、昭和二九年法律一六二号警察法(以下、新警察法と略称する。)の施行に伴い、市町村の自治体警察及び公安委員会が廃止され、その結果大阪市条例一条の集団行動の許可に関する処分を所管事項とする大阪市公安委員会も廃止されるに至つた。もつとも、新警察法は七九条において同法実施のために必要な事項を政令に委任し、これに基づき昭和二九年六月一九日政令一五一号警察法施行令が公布され、その附則一九項において、従前市町村条例によつて自治体警察の機関又は職員の事務とされていた事項は、当該市町村又は当該市町村を包括する都道府県が条例で別に定をするまでの間、当該市町村を包括する都道府県の都道府県警察の機関又は職員の事務として当該都道府県警察の機関又は職員が処理する旨の経過措置が講ぜられたため、大阪市条例によつて大阪市公安委員会の事務とされていた集団行動の許可に関する処分は、新警察法三八条一項に基づき設置された大阪市を包括する大阪府の公安委員会が処理することになつたものであり、その後大阪市又は大阪府において、大阪市条例の運用に関し、別に条例をもつて集団行動の許可機関を制定した事実のないことが明らかである。

従つて、右の経過によつて大阪市条例に関する集団行動の許可処分を取扱うこととなつた大阪府公安委員会は、同条例四条二項の規定すなわち「公安委員会は、前項の場合において許可しないときは、速やかにその旨の詳細な事情及び理由を附して市会に報告しなければならない。」にいうところの大阪市議会への報告も行なうこととなつたのである。

右のような取扱いは、経過措置が講ぜられているとしても条例の運用として異例に属し、妥当でないことはいうまでもないが、大阪市は地方自治法二五二条の一九第一項の規定に基づき、昭和三一年政令二五四号地方自治法二五二条の一九第一項の指定都市の指定に関する政令によつて指定都市の指定を受け(新警察法三八条二項により警察法の関係では指定市と称される。)、その結果大阪府は新警察法三八条二項にいう指定市を包括する指定府県として、その公安委員会は五人の委員をもつて構成され、同法三九条一項により、その委員のうち二人は指定市たる大阪市の議会の議員の被選挙権を有する者のうちから、大阪市長が市議会の同意を得て推せんしたものについて、大阪府知事が任命することになり、右二名に関する罷免については、同法四一条二項により、委員が心身の故障のため職務の執行ができないと認める場合又は委員に職務上の義務違反その他委員たるに適しない非行があると認める場合において、大阪府知事が大阪市長に対し市議会の同意を求め、同意があつたときは罷免できることになつている。従つて、指定市たる大阪市の市長が推せんした委員二人は、必ずしも大阪市を代表するものとは解せられないが、大阪市条例の規定する許可処分に関しては、十分条例の規定する許可処分に関しては、十分条例制定者である大阪市の意見を反映しうるのであり、また責任も負うのであつて、前記の不合理さを運用において十分とはいえないまでも補いうるものと解されるから、前記経過措置が直ちに不合理な手続を定めたものとして憲法二一条に違反するとはいえない。

しかしながら、前記警察法施行令はその条文にも明示されているとおり、大阪市又は大阪府において条例が制定されるまでの臨時の経過措置を定めたものであり、その後今日に至るまで条例が制定されていないからといつて憲法二一条に違反するものとはいえないが、早急に右の事態を解消するため、条例を制定することが望ましいことはいうまでもない。

(四)〈略〉

二憲法三一条違反の主張に対する判断

(一)  弁護人は、大阪市条例は憲法二一条の保障する集団行動の自由に対し規制を加え、かつその違反につき罰則を規定しているが、地方議会の制定するいわば最下位の立法ともいうべき条例に思想表現の自由を制限する刑罰規定を設けることは、地方自治法の定める条例制定権の範囲を逸脱し、このような条例で処罰することは憲法三一条に違反すると主張する。

憲法九四条は、地方公共団体は法律の範囲内において条例を制定することができる旨規定し、地方自治法はこれを受けて一四条一項において「普通地方公共団体は、法令に違反しない限りにおいて第二条第二項の事務に関し、条例を制定することができる。」と規定しているのであるから、普通地方公共団体は同法二条二項の事務に関し、他の法令に違反しない限りにおいて、同法の規定する手続に従つて条例を制定できることは明らかである。そして同法二条二項は「普通地方公共団体は、その公共事務及び法律又はこれに基く政令により普通地方公共団体に属するものの外、その区域内におけるその他の行政事務で国の事務に属しないものを処理する。」と規定し、二条三項は右の行政事務を例示している中で、その一号に「地方公共の秩序を維持し、住民及び滞在者の安全、健康及び福祉を保持すること。」という事務を規定している。

弁護人は「地方公共の秩序の維持、住民及び滞在者の安全等の保持」の事務には、国家の保障する憲法上の権利である集団行動の自由の制限、規制は含まれないと主張するのであるが、大阪市条例による集団行動の自由に対する規制がその趣旨、目的からいつて右の事務に関するものであることは明らかであつて、現在同一の趣旨目的のもとに同一内容の規定をした法律は存在しないのであるから、形式的にも条例事項から逸脱した立法であるとはいえない。表現の自由、集団行動の自由といえども、公共の福祉に反する限り、直接の制限を受けても憲法二一条に違反するものでないことは前述のとおりであり、地方の実情に照らし、必要があれば条例によつて表現の自由を制限しても、違憲であるとはいえない。

次に、大阪市条例が罰則を規定している点について検討するに、憲法三一条は何人も法律の定める手続によらなければ刑罰を科せられない旨規定しているが、条例は前記のとおり憲法九四条によつて認められた地方議会の制定する立法形式であつて、大阪市条例はその立法権の範囲内におけるものであり、その各規定の実効性を保障するため、その違反に対し五条において地方自治法一四条五項の委任する範囲内の罰則を定めているのであるから、憲法三一条に違反するとはいえない。

(二)  弁護人は、大阪市条例五条の処罰規定のうち、同条例四条三項によつて公安委員会の付した条件に違反した集団行動の参加者を処罰する部分は、公安委員会が集団行動を許可する際に定める条件によつて、初めてその構成要件が補充される白地刑罰法規であり、条例から更にそれ以下の形式の法令への犯罪構成要件の再委任を意味するものであるが、憲法三一条、七三条六号但書の規定によれば、法律以下の法令により刑罰法規を制定するためには法律による直接の委任規定が必要であるのに、地方自治法一四条一項、五項は、このような罰則の再委任を許容している趣旨とは解されないから、大阪市条例は法律の根拠を欠き、憲法三一条に違反し無効であると主張する。

大阪市条例五条のうち、四条三項によつて付された条件に違反した集団行動の参加者を処罰する規定は、公安委員会が集団行動を許可する際に定める条件によつて、初めて具体的に犯罪構成要件が補充される白地刑罰法規であり、地方自治法一四条五項には、このような犯罪構成要件の補充を許容する旨の明文の存在しないことは、弁護人主張のとおりである。

しかし、その合理的必要があり、法律の委任の趣旨に反しない限り、法律上個別的、具体的に再委任を許容する旨の明文の規定がなくとも、右のような再委任は許されるものと解すべきである。大阪市条例は、集団行動の実施に伴う不測の事態に備え、必要最小限度の事前措置をとる目的をもつて制定されたものであり、右目的を達成するためにあらゆる集団行動に適用できる画一的な条件を、予め条例のうちに網羅して規定することは事実上不可能であるばかりでなく、かえつて条件の範囲を拡大して必要最小限度をこえる場合を生じ、それぞれの集団行動の特殊性に対応して適当な条件を付するという措置をとりえなくするおそれがあるので、大阪市条例五条が、四条三項によつて条件を付しうる事項の範囲を定めるに止め、具体的条件は公安委員会の適切な判断によつて補充することにしたのも、右のような合理的必要性に基づくものと解される。そして大阪市条例は前記のように地方自治法一四条一項、五項に基づき、同法二条三項一号にいうところの地方公共の秩序を維持し、住民及び滞在者の安全等を保持することに関して制定されているのであるが、同条例は白地刑罰法規とはいつても、全く無限定に公安委員会に自由裁量をもつて条件を付する権限を与えたものではなく、同条例四条三項にいう「群衆の無秩序、又は暴行から一般公衆を保護するため」にのみ「適当な」条件を付しうる権限を与えたものであり、その内容及び範囲は予め明確に限定されていること前説示のとおりであるから単純な白地刑罰法規とはいえず、再委任であつても、右のような必要性及び合理的理由がある限り、地方自治法一四条一項、五項の委任の趣旨に反し、またはこれを逸脱するものとはいえない。

従つて大阪市条例五条の処罰規定は憲法三一条に違反するとはいえず、弁護人の主張は理由がない。

(三)  弁護人は、本件において公安委員会が付した各条件はいずれもその内容が不明確であいまいであるから犯罪構成要件としての明確性を欠き、また必要最小限度の範囲をこえているから、このような条件の違反を処罰するのは憲法三一条に違反すると主張する。

公安委員会が本件に付した別紙許可条件のうち、被告人が違反したとされている条件は「行進は平穏に秩序正しく行ない、ジグザグ行進など一般公衆に対し、迷惑を及ぼすような行為をしないこと」であつて、これはその他の個々の条件とは独立したものである。当裁判所は、他の条件がかりに違法無効であつても、そのことから他の条件から独立している前示条件の無効を招来するものではないと考えているので、右許可条件についてのみ検討すると「ジグザグ行進」とは、前記のとおり蛇行進とも称されるように「集団がZ字形に左右の振幅をもちながら蛇の進行するように行進すること」をいうものと解され、その概念内容は社会の一般常識に照らして不明確とはいえない。

ところで、ジグザグ行進はそれ自体純粋な意味において直接思想を表現している行為とはいえず、集団行動の気勢を高め、一般通行人に表現内容を強く印象づけるための補助的間接的な思想表現的行為であつて、思想表現の手段である集団行動に必ずしも必要不可欠のものとは認められず、かえつて気勢を高めた結果、集団の行動が速度、振幅等において極端に激化し、集団としての統制秩序を失つて進行方向が変更され、集団構成員が通行人や通行車輛に激突し、あるいは接触する等不測の事態を招来するおそれがあり、他の進行方法(通常の徒歩あるいはフランスデモ等)に比べてそのおそれが特に大きいものと認められる。従つてジグザグ行進を禁止するのは、群衆の無秩序、又は暴行から一般公衆を保護するための、必要最小限度の合理的制約というべきである。

(四)  弁護人は、大阪市条例により、公安委員会の付する許可条件は、同条例五条の具体的犯罪構成要件となるものであるにもかかわらず、告示ないし公布がなされず、条件の付された許可書を申請者あるいはその代理人に交付すれば、直ちに集団行動参加者全員に対して行政行為の付款として効力を発生し、これに違反した場合処罰されるのは不当であり、憲法三一条に違反すると主張する。

大阪市条例の規定により、公安委員会が集団行動の許可に付する条件は、許可申請者に対する許可という行政処分の付款であつて、法令ではないから、告示や公布を要するものではない。しかし、付款を含めて許可という行政処分が効力を発生するためには、その意思表示が申請者に対し到達する必要があり、申請者またはその代理人に対し許可書が交付されたときに効力が発生するものと解される。許可処分に付した条件は犯罪の構成要件であり、これを集団行動参加者全員に周知徹底させる必要のあることはいうまでもない。

そこで許可条件中に「主催者または現場責任者は、行進出発前に直接参加者全員に対し前各号の条件を繰り返し放送するなどの方法により周知徹底させること。」という条件が付されるのが通例(本件でも付されている。)であつて、右の取扱いは許可が特定の集団行動に関するものであること、及び集団行動は主催者のもとに統轄されているものであることを考慮すると、一応有効適切な方法と考えられる。そもそも大阪市条例違反(条件違反)の罪が成立するためには違反者が現実に条件を知つていなければならないのであつて、弁護人の主張するように、途中からデモに参加したため、条件の付されていること及びその条件の内容を知らない者は、犯意がないから条件違反の罪に問われることはない。従つて前記のように解しても処罰者の範囲を不当に広げることにはならないのであつて、告示ないし公布がされていないから無効であるという所論には賛成できない。

(五)  弁護人は、大阪市条例五条は、無許可集団行動の場合には、その指揮者のみを処罰し、一般参加者は単に参加したことによつてはもとより、仮に本件のようなジグザグ行進をしても処罰されないのに対して、許可のあつた場合にはその条件に違反した集団行動の指揮者のみならず、一般参加者まで広く処罰されるのは刑罰法規として公平を欠き、大きな矛盾をもつものであるから憲法三一条に違反すると主張する。

無許可集団行動の場合は、許可処分がないのであるから許可条件の付与すなわち当該集団行動についての犯罪構成要件の定立もなく、従つて指揮者、一般参加者を問わず、条件違反ということも論理上ありえない。そして無許可集団行動の指揮者を処罰する所以は、許可申請義務の違反という点に形式的違法性がある他、集団行動に事前規制が要求される趣旨に照らし、集団行動から惹起されることのある不測の事態に対して警備体制をとることができないことを知りながら、あえて集団行動を指揮したことに実質的違法性があることによるのであつて、一般参加者であつても許可がないことを知りながら参加した場合には、指揮者と程度の差こそあれ、違法性が全くないわけではなく、これを処罰することは特に不公平、過酷な刑を規定するものとして憲法三一条に違反するとは認められない。右は、無許可集団行動の参加者に組織者と同一の法定刑を規定している昭和二四年愛知県条例三〇号行進又は集団示威運動に関する条例を、憲法三一条に違反しないと判断した昭和三八年一二月六日最高裁第二小法廷判決の趣旨に照らして明らかである。

そして、許可のあつた集団行動の一般参加者であると指揮者、主催者、煽動者であるとを問わず処罰することも、その必要があり、かつ当該許可条件違反の集団行動が違法性を欠くものでないことは、前記のとおりであつて、同様憲法三一条に違反するとはいえない。

そうすると、弁護人主張のような処罰の不公平を解消するためには、無許可集団行動の一般参加者及び許可条件違反のの集団行動の一般参加者のいずれも処罰するか、それともいずれも主催者、指揮者、煽動者を処罰するに止めるかのいずれかであるが、これと比較して大阪市条例が、許可条件違反の集団行動の参加者を処罰対象とし、無許可集団行動の参加者をこれから除外しているとしても、刑罰法規として特に不公平、過酷とはいえず、許可条件違反の集団行動の参加者についてもその犯情に応じて適切な処断ができるよう法定刑に幅があり、結局弁護人の主張は、立法政策を非難するに止まるものである。

(六)  弁護人は、大阪市条例においては、集団行動の許可及び条件付与の処分をするのが、大阪府知事から任命される大阪府公安委員会であつて、このような矛盾した手続によつて定立された条件、すなわち犯罪構成要件で処罰することは憲法三一条に違反すると主張する。

右の点については、さきに判示したとおりで、警察法の改正による経過規定により、大阪府公安委員会がその事務を処理するよう定められていて、必ずしも右の取扱いが不当とはいえず、また警察法施行令以来、長年にわたつて右の取扱いに関する条例が制定されていないのであるが、そのことによつて直ちに本件許可及び許可条件が無効になり、右条件違反を処罰することが憲法三一条に違反するとはいえない。

よつて主文のとおり判決する。(松浦秀寿 井上広道 中根勝士)

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